今回は、大好きな歌手ダイナワシントンについて書きたいと思います🥰
ダイナワシントンは、1940年代から50年代に活躍した歌い手です。日本ではジャズ歌手として知名度が低いのですが、海外ではジャズに多大なる影響を与えた歌手として知られています。ダイナの名前はアメリカの公園やストリートの名前になっています。それほど愛されたダイナの魅力を2つの視点から紐解きます。
■歌い手としての実力■
どんなジャズスタンダートや、ポップス、ブルースを歌ってもダイナワシントンになってしまう。そんな魅力がある歌手です。声は張りがあって上質な管楽器のような響きがあり、ビックバンドの演奏の中でも一際輝く天性の声質です。テクニカル的な視点で見ると、まず高音域をストレートにシャウトし、中低音は聞こえるか聞こえないかギリギリのところまで丁寧に表現します。言葉をクリアに伝える技術にも長けていて、さらにフェイクのセンスも一流。フェイクセンスの良さは、1958年の’Dinah Sings Bessie Smith' を聴いていただけたら一目瞭然です。皇后ベッシースミスと同じ曲なのに全く違うメロディで表現しています。いわゆるビリーホリディと同じで、歌うたびにメロディを変えて異なるように歌う。歌がジャズの方。スキャットをしなくても歌に説得力があり十分な聞き応えがあります💗
■音楽界への貢献■
アメリカで20世紀半ばに音楽家からも最も愛されたと言われるダイナワシントンは人を見るセンスもある人でした。
ダイナワシントンに見出されたミュージシャンとして有名なのは、クインシー・ジョーンズです。クインシー・ジョーンズは自身のドキュメンタリー(クインシーのすべてNetfelix)でこう言っています。「ニューヨークに移り住んだ際、ダイナワシントンと友達になり作曲を頼まれた。マーキュリー・レコードは有名どころを希望したが、ダイナはこのように言った。‘‘ダイナワシントンのアレンジャーはクインシーよ!‘’レコードは大成功し、その後仕事には困らなくなった」と。クインシーがアレンジした 1955 年の‘For Those In Love ‘に収められている I Could Write A Book と1957年‘The Swingin' Miss D’のCaravanのアレンジはダイナの魅力が生かされていて最高です!
また、のちにマイルスバンドで活躍するウイントンケリーも若きころ(20代)ダイナワシントンのピアニストでした。演奏の様子はあの伝説の映画「真夏の夜のジャズ1958 Newport Jazz Festival 」をご覧いただければわかると思います。
影響を与えたといえば、アレサフランクリンは有名です。2022年公開の映画「リスペクト」では、ダイナの役をメアリーJが演じています。ダイナワシントンがアレサの幼少期から家を出入りしてる憧れの歌手として描かれています。ライブで敬意を示すためにダイナのレパートリーを歌うアレサに対し「ビッチ、女王が目の前にいるときは、女王の歌を二度と歌うんじゃないよ!」と大激怒します。その後楽屋で泣いているアレサに対し、「黒人の地位向上なんてお遊びはもうやめな。自分に合う歌、心が動く歌を探さし出さなきゃ成功はおぼつかないよ」と叱咤激励します。姉御すぎでしょう〜✨
このエピソードはダイナワシントンが、アレサではなくエッタジェイムスに放った言葉と伝えられています。
あの、エイミーワインハウスもダイナの歌に多大なる影響を受けたとダイナのドキュメンタリーで語っていました。
このようなエピソードから、音楽をとにかく愛し追求していた歌手だったと私は思うのです。
当時、黒人女性歌手が若いミュージシャンを起用したり、若手歌手に自らアドバイスしたりする事は大変珍しいことだったのではないかと思います。39歳の若さでこの世を去ってしまったのが残念で仕方ないのですが、音源でいつでも彼女の歌に会うことができます。
恰幅の良さや豪快な性格は彼女の歌にも表れていて聞くと心がスゥーッと軽くなります。
まさしく!「Queen of the Blues」の名に相応しい歌手ダイナワシントン。是非聴いてみてくださいませ。
🍓Hitomi Sonare🍓
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